鈴木 寛のBlog

ガソリン税に見るこの国の投資

国会では、ガソリン税などの昭和49年から続く暫定税率をめぐり、延長か廃止かで論戦が続いている。私は廃止による2兆6000億円の減税効果は大きくGDPで1%程度アップの経済効果は期待できると考えている。ブッシュ政権もサブプライム問題に対して約16兆円規模の減税策を発表したが、こうしたなか、断固、減税に反対する自公政権は、世界の投資家・経済専門家には奇異に映っている。需要が1単位増加した場合の産業連関効果も、公共事業は1.9倍と低く、通信機器で2.2倍、自動車が最も高く約3倍となっているので、自公政権が主張する十年間でさらに五十九兆円道路を作りつづける政策の愚は明らかだ。

私は、今回、この国の税金の使い方を本格的に変えていかないと、日本は再起不能になってしまうとの危機感すら抱いている。

経済における日本の世界的位置を見ると、1992年に一人当たりの国内総生産が世界第2位を誇っていた日本も、2006年には、OECD加盟先進国30カ国中18位に転落してしまった。この間、わが国の輸出依存は全く改善されず、2006年の依存度は1980年の貿易摩擦時よりも増えている。さらに米中両国への輸出依存は全体の3分の1を超え、両国の景気動向に、わが国が常に振り回される構造となってしまっている。こうした中、家計購買力の強化に加え、新たな産業創出の基盤となる知的投資が不可欠となっている。特に、研究開発、高度専門職業人養成への投資こそ、その国の将来を決めるのだ。

私は、研究開発投資と高等教育投資を合計したものを「知的立国のための投資」と呼んでいるが、依然として、日本は、公共事業投資対GDP比は、先進国主要各国の中で最も高く約3.7%、これに対し、知的立国投資(高等教育と研究開発への政府投資の合計)は対GDP比1.1%と最も低くなっている。「知的立国投資/公共事業投資」比率を各国比較すると、日本を1とすると、アメリカは2.2、イギリス2.75、フランス2.2、フィンランド2.96、ノルウェー2.48、スウェーデン2.86で、明らかにバランスを欠いている。

今回のガソリン税の議論は、20世紀型のハード依存土建国家から、21世紀型の環境・医療・知的立国へ大きく舵を切る絶好のチャンスだと私は思う。硬直化した税・予算を打破し、将来に向けてベストなものにしていかなければならない。だからこそガソリン税の一般財源化が必要なのだ。

たとえば、京都議定書の目標達成期間が始まったが、来年には、家庭用電源からの充電も可能なハイブリッド車が発売されるそうである。それに併せてハイブリッド車の自動車取得税を大幅に引き下げ、ガソリン車の自動車重量税(保有)を引き上げれば、ハイブリッド車への買い替えが促進され、二酸化炭素削減目標の達成に大きな弾みとなる。とりわけハイブリッド車は、電池など電機産業など裾野がさらに広がっているので、関連の知的産業への影響は絶大だ。

また、深刻化する救急医療崩壊も、交通事故関連を多く受け入れているので、ガソリン税の一部を使ってでも早急に解決すべき問題である。

一方、地方は道路建設がなくなると大変だとの声があるが、私は、暫定税率廃止と併せて地方自主課税権の付与を提案している。つまり、ガソリン税、自動車取得税等を地方税とし、すでに県税の軽油引取税も併せて、その税率と使途は、都道府県議会条例で定められるようにするのだ。本当に道路が必要なら、国税で1リットルあたり二十五円減税するのだから、県民に説明・説得して県知事・議会が県税として何円か増税し、道路を作れば良いのだと思う。

税金の使い方がこの国の将来を決める。そしてその鍵は、国民各層の議論の熟度にかかっているのだ。

2008-02-21 15:58:00

0008日経新聞年金改革 民主党案をほぼ踏襲

今日の日経一面は面白い。日経の年金改革研究会の報告だ。

民主党が鳩山、菅、岡田、前原代表時代に主張してきた年金改革案、私も、昨年の参議院選挙の公開討論会で、一貫して主張していたものとほぼ同じ内容を踏襲した報告を日経の年金改革研究会は発表した。わずかに、税率の計算のわずかな違いと、高所得者の扱いが異なっているくらいだ。我々の年来の主張が評価されて大変嬉しい限りだ。

歴史に「たら」、「れば」、はないが、郵政選挙のときに、岡田民主党が勝利していれば、今日の日経の年金改革案が三年前に成立していたので、本当に悔やまれる。

あのとき、メディアがもっと、年金について研究し、今日のような記事を一面で書いてくれれば、国民の皆さんの理解も高まり、民主党への支持が集まり勝利できたかもしれないし、年金問題も解決の方向で手が打ち始められたのに残念だ。過去を悔やんでもしようがないので、日経がついに我々民主党のオリジナルな案を支持してくれたことを率直に喜びたい。

ちなみに、小沢代表になって、一昨年の秋に、政策マグナカルタを出して、消費税を上げないという方針が大議論の末、導入されてしまった。まずは、税金の無駄遣いをなくすのが先だということだが、確かに、それはその通りなので、小沢政権下では、まず、無駄使いを一掃し、国民の皆さんに政治への信頼を回復し、消費税アップの議論する気運を醸成する。そして、同時に、消費税以外にも、新たな税方式がないのかについても併せて勉強する。そして、小沢さんの次の民主党政権のもとで、国民の皆さんへの税負担増について、おはかりをするという段取りになるのだと思う。

誰が考えても、6割に低下した納付率、5000万件の記録消失、高齢者医療保険の掛け金負担などの問題のなかで、それを解決する答えは、無年金者をゼロにする、基礎部分、全額税方式しかにないのだ。

この誰が考えても当たり前の案を、民主党は、何年も前から、提案し、マニフェストにも盛り込んでいたが、100年安心の年金議論のときには、無残にも、打ちのめされた。

年金改革だけではない。参議院選挙前に突如与党も認めた「医師不足」にしても、今年の年頭に唐突に福田首相がいい始めた「消費者主権」にしても、ずっと前から、民主党が主張してきた。マニフェストにずっと書いてある。また、医師不足については、国会の議事録をみれば、もっとも、最初に、医師不足問題を国会で提起したのが私だということがわかる。自民党は、医師会に遠慮していえなかった。そして、残念ながら、私の心配が的中して、重症患者、妊婦のたらい回しが日常茶飯になってしまった。

最近は、自民党・公明党が、その民主党の年来の主張をつまみ食いしてパクッテ、口では、やるやるというか、民主党案の差しさわりのない一部を申し訳程度に取組みやったふりをするというのが実態だ。

結局、与党に任せておくと、いい政策に取組むのが、圧倒的に遅れる。手遅れになってからようやく世論におされて着手する。仮に、着手したとしても、申し訳程度に留まり、抜本的に改革にならない。まさに、TOO LATE, TOO LITTLEなのです。だから、政権交代が必要なのです。

何も、民主党の自慢をしたくていっているのではない。世界共通の現象として、与党は、過去の政策との整合性、一貫性、過去の勢力との強い関係性(つまりは、シガラミ)に縛られるので、与党の出す政策はどうしても、誰が考えても時代遅れの政策になってしまうのだ。将来、その国が必要としている政策からみると TOO LATE, TOO  LITTLEに なってしまうので、これは与党のだす政策の特徴だ。

こうした基本的な長期政権の弊害と特徴についての新聞・学者の理解が浅いのが残念だ。あるいは、勇気をもって、そうしたことを発言しつづけないのが残念だ。学校でも教えてきていなし。

たとえば、米国大統領選挙でも、共和党の候補はブッシュの外交政策を堂々とは批判できない。同じことだ。

だから、政権交代が必要だ。野党は、過去の政策との整合性、一貫性を気にすることなく、その時点に、ゼロベースで、将来に向けてベストな案を提案し、未来の勢力と協働して、その政策を実現していくことができる。

そろそろ、社会のめざすべき方向を変えねばならないときや、過去の問題の解決がにっちもさっちもいかなくなったときには、日本を除く、どこの国でも、思いきって、政権を変える。

今年、政権交代しないと、年金の問題だけではなく、環境の問題への対応に重大な禍根を日本は残すことになる。何十年と、経団連と米国と二人三脚でやってきた自民党政権が、環境政策で舵を切るわけにはいかない。経団連と距離をおき、欧州とも協力するためには、民主党政権樹立しかありえないのだ。

これからの国家運営は、米と欧とアジアとのバランスを常にうまくとりながら、本当に全方位外交を行わねばならない。今は、中庸に戻すためにも、米一辺倒の自民党政権を一旦脱する必要があるので、また、民主党が、外交政策で、欧州やアジアに、消費者や環境重視に偏りすぎたら、また、自民党に戻せばいいのだ。

2008-01-07 20:32:00

0007米大統領選 民主はオバマがリードで開始

アイオア州の党員集会で、共和・民主両党の候補者選びが始まった。11月4日の本選挙に向けた選挙戦が正式にスタートした。

簡単に言うと、米大統領選は、いよいよ、準決勝に入った。
春夏の甲子園でも、準決勝が一番面白いが、米大統領選もいつも準決勝は面白い。

8年前のブッシュ対ゴアの決勝も面白かったが、今回の米大統領選挙は、民主党が勝つだろうから、今年前半におこなわれる準決勝が、事実上の決勝戦だ。

さて、結果は、民主党 オバマ38%、エドワーズ30%、クリントン29%

昨年末までの準々決勝まで、終始快調にリードを飛ばしていた「ヒラリー・クリントン上院議員」が、準決勝の1回表で、いきなり、オバマにリードを許し、それどころか、伏兵エドワーズにも負けてしまったというところだろう。クリントン陣営は、ショックだろう。

なぜ、負けたのか?日本にいたのでは、本当の分析は難しい。米国大統領選は、最終的には、米国の最高司令官であり、かつ、最終・最高の意思決定者としての総合力を評価するわけだが、まず準々決勝においては主として問われるのは、何をするにしても必要な「人」と「カネ」をどれだけ集められのかという能力をまずはチェックされる。

つまり、準々決勝をトップで通過したクリントンは、少なくとも、資源収集能力においては、誰より優れていたことは証明された。

準決勝の1回の裏は、8日はニューハンプシャーだ。どのようにクリントン陣営が、戦線を立て直していくか見ものだ。

日本の政界も始動し始めた。福田さんも、小沢さんも、伊勢神宮に参拝し、記者会見もしたようだ。福田さんは、1月中旬に噂されていた内閣改造を見送ったとの報道がされていたが、各党首の記者会見も紋切り型でツマラナイ。

この年末年始、新聞やニュースなどを、改めてよく読んだが、わが天敵「W主筆」率いるY新聞政治部上層部の相変わらずの芸のなさ・議論の薄さを痛感した。

2004年夏、僕は、古田敦也選手会長を支えて、プロ野球2リーグ12球団存続運動とプロ野球選手会ストライキの戦略的アドバイスと後方支援活動を行っていた。根来コミッショナーのところにも談判にいったし、文部科学大臣、官房長官をはじめ主要閣僚や、宮城県知事に働きかけも行った。2リーグ12球団存続の超党派議員連盟の事務局長も務めた。当時、議員連盟の会長は自民党からと思い、何人かの有力議員に頼みにいったが、皆、W主筆に弓を引けないので会長は勘弁してくれといわれて、結局、仙谷衆議院議員に引き受けていただいた。そして、ストライキ決着まで、連日、スポーツ新聞のH新聞とY新聞の記者が、僕に張り付いていたのを今でもよく覚えている。

事実だけ申し上げると、ストライキ以来は、僕は他新聞には、何度となく取材されたし、記事でも私の活動や発言が取り上げられたが、Y新聞には一度も取材されたことも取り上げらたこともない。(もちろん、たまたまだと信じたいし、僕の日頃の主張や言動が、Y新聞が書きたい問題意識や文脈に、全く、合わないからだろうと思うが・・・)

 Y新聞といえば、僕が中心となって策定した民主党の教育基本法に対する、論評ぶりで、同じく保守系といわれているS新聞とY新聞の評価が、もっとも異なっていたのが面白かった。S新聞は、保守主義の立場をきちんと貫いた上で論評していて納得できる部分も多かったが、Y新聞は、我々民主党がどんなにいい法案を出しても、ケチをつけてくる、結局は、政治面については、自民党の広報紙だということを思い知った。
同時に、W主筆が、前小泉総理ぎらいなのもよくわかる。

1000万部売れ続けたY新聞が、日本政治の発展を遅らせてきたことは間違いない。テレビなら、チャンネルを変えながらみられるので、視聴者も、各局やキャスターの微妙な違いを比較しながら、多角的な見方でニュースや報道を理解できるが、新聞の場合、多くの家庭は、新聞は一紙しかとっていないから、Y新聞の害は、本当に大きい。

幸い日本人が、テレビやインターネットからも、情報を得られるようになり、Y新聞の相対的な影響力が低下してきたのが、何よりの救いだ。

ちなみに、Y新聞の医療チームは素晴らしい。医療現場を、一番ちゃんと回って取材していて、現場に潜む問題を的確に抽出し、問題提起がうまく読者に伝わっていて、それが健全な世論喚起・形成、政策転換につながっている。少しは、政治部も見習ってほしいものだ。
 
またY新聞政治部の若手記者のなかには、個人的にはいい人材もいるのだが、上の編集方針に従わねばならないので気の毒だ。今回の自民・民主大連立騒動で、Y新聞のW主筆のジャーナリストとしてあるまじき逸脱越権行為の実態が明るみになったが、Y新聞の若手も、そろそろクーデターを起こしたほうがいいのではないか?そうでないと、いずれY新聞は瓦解してしまう。

しかし、こんなヤバイことを白昼堂々と書けるのは、このブログのいいところだ。このブログを見つけたY新聞の関係者がいたら、是非、お友達になりたいです。なぜなら、シブヤブックスに興味をもつような素敵なセンスをもっている人は、十分、Y新聞クーデターの首謀者となり、ひいては、Y新聞の中興の祖に成りうる逸材なので、是非、仲良くさせていただきたい。必ず連絡ください(笑)。

では、Y新聞論調のどこが、駄目なのか?解説しよう。Y新聞は、未だに「ねじれ国会は大変だ。大変だ。」とのメッセ-ジを繰り返すばかりだ。こともあろうに、看板の論説委員が、脳科学者のMK博士まで、引っ張り出してキャンペーンをやっているのには、あきれかえる。

日本の宝の気鋭の脳科学者をこんなことで消耗させるなといいたい。僕は、M博士にお会いしたことはないが、テレビでの発言や著作を読み、好意をもち、期待もしているので、もったいない。こんなことに利用されず、M先生の得意なフィールドで、ますます伸び伸びと活躍していただきたいものだ。

だいたい、いつも日本のメディアは、M先生のような人材を、こんな風に、専門外のどんなテーマにも引きずりだして、使うだけ使って、メディアの賞味期限が切れるとぽいと使いすてるから、日本の知者は、その大事な時期を本当に無駄にしてしまう。多くのメディアの本拠地・東京から離れて関西で活動している学者のほうが大成するのもこうしたところに原因があると思う。

老婆心ながら、万能細胞の山中京大教授なども、ノーベル賞を取られるまでは、関西に留まっていたほうがいい。山中教授も見るからに、いい人そうなので心配なのだが、いやなメディアへの露出はきっぱり断ることをお勧めする。アメリカでも、研究は、消費の街ニューヨークや権謀の街ワシントンではなくてボストンだ。教授がやるべきは、日刊紙に頻出することではなく、人類の科学史にきちんと名を残す仕事をすることなのだから。

横道にそれすぎたが、Y新聞政治部には、「国会がねじれて何が問題なのか?その問題はなぜ生じるか?問題を解決するためにはどうしたらいいのか?」ここをきちんと分析し、読者に説明してほしい。

まず、ねじれの定義だが、議員内閣制であれ、大統領制であれ、政権を担っている党が、議会の多数派を握っていない状態を「ねじれ」と称するのだろうが、このような事態は、世界中の民主主義の歴史のなかで、いくらでも存在したし、これから将来も、いくらでも存在するだろう。

確かに自民党にとっては稀な体験であるし、自分たちの通したい法案を無傷で通すためには、相当、苦労していることは間違いない。しかし、法案が一本も通らないとプロパガンダを張っているが、現に、臨時国会でも、いくつかもの法案が通っているし、そもそも、臨時国会の場合は会期終盤になって、続々と成立してくるものだ。これまでもそうだった。

それに、従来から、民主党は、政府提出法案の7割から8割に賛成しているし、これからもそうするだろう。必要な法案は、ねじれ国会でも成立していて、国民生活になんら支障を与えていない。具体的に、どの法案が成立していないので、このように国民生活に支障が出たと事例をあげて、Y新聞は報道すべきである。

彼らがいいたいことは、給油法案のような国益を直結する法案が、政府与党が、ゴリ押しで通すのが大変になったといいたいのだろう。確かに、国論を二分してでも、成立させなければならない法案はある。給油法案はまさにそうした法案かもしれない。

もともと日本国憲法を作った人たちは、このようなねじれ状況が発生しうることは当然に想定していたし、そのための制度もあらかじめ明確に作ってくれている。淡々とその制度に基づいて行えばいいだけでの話だ。もちろん、そうした重大法案での対応は、自民党も民主党も、選挙で審判を受けることになる。これが、民主主義だ。

国論を二分する法案について、国会・メディア・有権者一体となって議論を盛り上げ、深められるようになったことは大いに結構なことではないか?たとえば、夏以来、外交・安全保障問題が政治の主要課題になり続けたことで、防衛省守屋事件も明るみになったし、これこそ、本来の民主主義のあるべき姿ともいえる。

むしろ今までの国会が異常だった。これまで国会は、政府提出の法案に単なる形式的なお墨付きをあたえる儀礼的役割しか果たしてこなかった。ねじれによって、国会の権威は上がる。

わが盟友・飯尾潤教授が新書をだして、日本は「官僚内閣制」だということを書いているが、ねじれ国会になって、日本が官僚内閣制、官僚政治、官僚主権を脱して、真の議員内閣制、政党政治、国民主権の国になる好機が訪れつつあるのだ。

従来、霞ヶ関官僚は、その法案を閣議決定し国会に提出したら、ほぼ9割、肩の荷を降ろせた。口では与党議員や野党議員に気を使っているそぶりを見せるが、心のなかでは、山を越えた、後は、特段のトラブルさえなければ、成立だとほっとできた。わずか衆参併せても数日の国会委員会審議を終えれば、可決成立する。

ねじれ後はそうはいかない。参議院で否決された法案を衆議院で戻して、3分の2以上で可決するという制度はあるが、よほどの重要法案でない限り、この条項は使えないので、与党だけではなく野党の国会議員に十分説明し、納得を得るまで、法案の内容を練って、磨いてから国会提出しないと、折角作った法律が日の目をみない。まさに、霞ヶ関に対して、国会議員が、本来の機能と権威を取り戻す大きなキッカケに成りうるのだ。

国民の直接選ばれる議員によって構成されている国会が、公務員試験を何十年に合格したという一点のみによって特権を付与されている役人集団=霞ヶ関に優位に立つのは、喜ぶべきことではないのか?ちなみに、野党議員はもとより与党議院にとっても、ねじれは従来霞ヶ関役人に対して圧倒的な劣勢にあった力関係を逆転させる契機になる。

通産省の入省者パーティのときに、渡辺美智雄通産大臣(今の渡辺行革相の父)が、「お前たちは、東大出のエリートかもしれないが、俺たち政治家は、一日で、何十万人という人に、わざわざ足を運んでいただいて わたなべみちお と書いていただいて、政治家になっておる。今のお前にたちに、こんなことできるか? できないんだったら、俺たちのいうことを聞け!」と明るく、ミッチー節で訓示したのを今でもよく覚えている。

患者の利益よりも、法の論理が優先され、救済が遅れていたC型肝炎問題も、もしも、ねじればなく官僚内閣制が続いていたならば、問題は放置され続け、福田総裁の政治決断により議員立法で解決ということにはならなかっただろう。ねじれの効用の一つだ。

従来の国会では、どんなに質の悪い質疑や与党議員は、ひどい答弁を閣僚・政府側がしたとしても、あるいは、どんなに素晴らしい質疑を野党議員がしたとしても、その発言が、法案の賛否の変更や、法案の修正といった結末にほとんど繫がらない。つまりは、結末の見えている、お芝居に出演しているのが国会議員だった。

シナリオが完全にできている芝居を見せられているのが有権者で、さながら、誰でもそのあらすじを知っている歌舞伎や歌劇、水戸黄門のようなものだった。
議員は、誰でも知っているせりふやアリアを浪々と語り・歌う役者や歌手のようなもので、多少のアドリブや、期待どおりのテノール歌手のハイツェー(高いC ドの音のこと)に、場内は沸く。

私も、歌舞伎、オペラ、水戸黄門、いずれも大好きだが、国会審議のなかに、筋書きのないドラマ・スポーツをいれていけるまたとないチャンスが到来しているのである。これまで古典芸能中継だった国会中継が、スポーツ中継になるチャンスなのだ。そうなれば、視聴率も上がるだろうし、新たなファンも出来てくる。

 ここまで言うと、ねじれは何の問題もないではないかということになりそうだが、そうでもない。

実は、ねじれの最大の問題は、できのいい野党法案がほとんど日の目を見ないまま葬り去られてしまうことだ。

民主党の法案作成能力が明らかに上がってきている。おかげさまで、僕が、6年間担当してきた民主党の文教部門は明らかに政府を上回っていると、教育政策のプロのあいだでは評価が固まっている。

民主党が提出の文教関係の重要法案は、私参議院議員の鈴木寛と藤村修衆議院議員が主導して、西岡武夫参議院議員、佐藤泰介参議院議員のご意見も伺いながら、大体の方向を決め、牧義夫衆議院議員らの了解も得、詳細な設計については、僕と藤村先生のどちらかが中身のイメージをだす。そして、法案ごとに、笠ひろふみ衆議院議員、林久美子参議院議員、水岡俊一参議院議員、田島一成衆議院議員、神本みえこ参議院議員らにも担当してもらい、衆参の法制局に指示を出して法案をまとめるというプロセスと体制を確立してきた。

教育基本法に関しては、関連する教育行政のガバナンス改革、教員養成充実、教育環境整備など、10本弱の法案を用意し、国会に提出したが、本当に大変だった。2000人の官僚を擁する文部科学省に対して、こちらは、それぞれの事務所の秘書と党の職員、のべ五人くらいが手伝ってくれるなかで対抗した。文字通り、コピーとりから法案答弁まで、僕もしているが、それでも、十分、政府案よりいいものを作れた。

文教科学政策以外でも、詳細は述べないが、年金、金融、行政制度、政治制度、決算、税、医療、外交防衛、情報通信などの分野では、政府案を上回るレベルの法案を提出する体制は整備されている。これ以外の分野でも、着々とレベルは上がってきている。

手前味噌ながら、こうした分野から提出される、民主党法案には、なかなかできのいい法案も多い。陰では、与党議員でも「本当は、民主党案のほうがいいのに」なんて声も聞かれることも多い。しかし、こうした法案が全く成立しないのは国民生活にとって、もったいない。

また、政府提出法案でも、その方向性は悪くないが、中味が不十分なので、民主党として、原案のままでは賛成しかねるというものも少なくない。こうした政府提出法案も、民主党が反対に回って成立しないのも、もったいない。

できのいい民主法案と、少し手直しすれば使える与党・政府法案これを、いかに成立させていくかが実はポイントなのだ。

本来ならば、与野党双方ともに、自らが提出した法案を修正や、両案のいいところを持ち寄って、さらに、いい折衷・統一案を作ったりすることが、よりよい社会の発展には望ましい。そういう意味で、国会の役割を変えていくことが重要だ。

他国の国会では、多くの法案が国会審議を通じて、修正されて、よりよいものになって成立していく。国会というのは、儀礼的追認機関ではなくで、まさに、法案を練磨するための組織なのだ。しかし、日本はそうなっていない。僕は、是非、日本の国会も、法案修正・進化がどんどん行われる、国会が付加価値をつけるそんな国にしたい。これが、まさに、僕が掲げてきた「熟議の民主主義」の重要な一部でもある。

では、なぜ民主党案や、あと一歩の政府・与党案への建設的な民主党からの修正要求が拒まれるのか?それは、自民党の面子だ。もっと、本当のことをいうと、自民党の各省庁への遠慮・気後れだ。

内心、民主党案や民主党の修正案がいいなあと思っても、長年、法案づくりを丸投げして世話になってきた各省庁が一生懸命作った法案を否定したり、それにケチをつけるような修正は、各省庁との手前、断らざるをえないということがある。

人間、自分で作ったものならば、自分の才覚と判断でいかようにでもできるが、長らく連れ添ってきた、日ごろ、無理も聞いてもらっているパートナーに作ってもらったものは、なかなか、直したり・捨てたりできないということはよくあることだ。

たとえば、教育基本法のとき、自民党・公明党の案と、民主党の案とが、国会で、ぶつかった。実は、内心、民主党案に強い賛意を示す自民党議員は多く、自民と民主で、水面下で、与党案の修正協議が行われた。その動きを当初から牽制していたのは財務省であったし、それを最終段階になって断固拒否したのは、ほかならぬ公明党であった。(財務省と公明党の、それぞれの反対の理由と動機は全くことなるのだが・・・)

日本は、自民党の各省庁への遠慮が激しく、毎年、百数十本の法案が提出されるが、そのうち修正が行われるのはごく数本という異常な国なのだ。面白いことに、修正協議に応じてくるのは、最も法律に強いはずの法務省だ。これは法務省の民事局長は裁判官が出向して就任しているためである。彼らは、裁判官としての実績にはこだわってはいるが、法務省の省益・権限拡大には余り関心はない。だから、与党の法務委員会理事たちも余り遠慮なく、野党からの修正協議に応ずることができるようだ。

自民党は各省庁や連立している公明党への遠慮から、民主党からの比較的まともな対案や修正案を拒み続けてきたし、ねじれ国会になっても、その態度は基本的には変わらない。

ねじれになってから、自民党も、都合のいいときだけ、政策協議をといってくるようになった。

僕は、今までのことは水に流して、民主党も気持ちよく積極的に応じて、どんどん提案をしていったらいいと個人的には思う。国会議員同士の政策協議になれば、多くの分野で圧倒的に我々民主党のほうが政策能力の高い議員を擁しているので、こちらペースで政策を作ることができる。

たとえば、文部科学部門は、僕が事実上の主導権を握り、他党の議員も説得して、日本の将来や生徒・学生にとって、プラスになる政策を立案・実現する自信はある。.

Y新聞政治部もそういうことを願っているといいたいのだろう。

民主党の幹部も、今まで、つれなくされた怨念と、民主側が協議してほしい他の案件について、あいかわらず自民党が掛け合わないので、結局、民主党も意地を張っている。

国会が、基本的に対決モードになってしまい、有効な政策協議が行えない。その下で、いい法案がたなざらしになっていることが問題の本質だ。

もしも、Y新聞政治部が本当にこの国のことを思っているのならば、自民・民主両方に公平に、A案件については、民主党は自民党に歩み寄り、B案件については、自民党が民主党に歩み寄れというべきだろう。しかし、Y新聞の論説で、前者の論調は頻発するが、後者の論調をみたことがない。たとえば、現場を回っているY新聞の医療チームと民主党の考える医療政策はほとんど同じなのに、たとえば医療政策については、民主党法案を参考にしろとか、盛り込めといった論調が出たためしがない。

おそらく、民主党が政策協議に応じ、よりよい案ができたとしても、今度は、与野党ともに国民のためによく頑張ったとは、書いてくれないだろう。結局、そういう成功話・苦労話は無視され、評価されない、与野党が揉めている話ばかりを記事にする。意地を張らなくなったら、今度は、野合・談合・なぎ国会だといって、民主党を揶揄するのだろう。

ねじれの何が問題で、それが意地の張り合いによって起こっていることは理解してもらえたと思う。では、どうしたら意地の張り合いを解消できるのか?Y新聞政治部も、こうした論点を掘り下げてほしい。

なぜ、両党ともに意地の張り合いを続けているのかといえば、それは、衆議院議員が、常に戦場に在る(常在戦場)ことが、最大の原因だ。

本来、政治には、選挙の時期と政策の時期とがある。
まさに、アメリカは、今年1年が選挙の年なのだ。

しかし、日本は、常に、選挙の年であり、選挙の季節なのだ。僕が、衆議院ではなく参議院議員を選んだ最大の理由もここにある。

日本の衆議院議員の任期は実質3年である。たとえば、鳩山由紀夫先生は、当選7回で勤続年数22年。福田康夫総理や岡田克也先生は、当選6回で勤続年数18年、安倍晋三前総理は当選5回で勤続年数15年だ。

この7年を振り返っても、2000年衆議院総選挙、2001年参議院選挙、2003年衆議院総選挙、2004年参議院選挙、2005年衆議院総選挙、2007年参議院選挙、そして、2008年はおそらく衆議院選挙が行われる。
しかも、これに衆議院の補欠選挙は、毎年、春と秋に、国会開催中に、おこなわれる。要するに、毎年、国政選挙をやっているのが日本なのだ。  
おまけに、知事選挙、県議会、市区長、市議会、町村長、町議会、村議会選挙と、年から年中、選挙をやっている国なのだ。こんな国は日本くらいしかない。
「年中選挙」が、与野党が意地を張り合い、いい政策づくりに与野党双方が打ち込めない最大の理由なのだ。

政治家も、個人として、まともにいい法案を創りたいと思っている人は少なからずいる。しかし、政党となると、与えられたゲームのルールの枠組みのなかで、最前を尽くさざるをえない。逆に、手を抜けば、八百長だ。だから、党幹部の判断は戦闘モードにお互いなってしまう。

衆議院議員は、年中選挙だから、落ち着いて政策を考えることを官僚に丸投げし、選挙は政治家、政策は役人と完全に役割分担してきた。内閣というのは、まさに、政治と政策との接点だから、官僚内閣制ということになってしまう。

二大政党制が定着してきてからはどうか。選挙は衆議院、政策は参議院となってきている。自民党も民主党も中味ある準備に長時間を要す政策立案・調整は、参議院議員が中心に行っている場合が多い。参議院は不要でも参議院議員は必要だといわれるゆえんだ。

問題、背景はおわりいただけたと思う。次は、処方箋だ。どうしたらいいか。少なくとも国政選挙を行わない年を中2年か3年は作るべきだ。冒頭もうしあげた米国をみているとやはり本当は四年がいい。知事選挙なども見ていてもそう思う。実績をあげる実力派知事が続出しているが、知事になる人と議員になる人でそう資質に差があると思えないが、知事になるといい仕事ができる。これは任期と権限の違いだと思う。

選挙をしない期間を極力延ばすために、いろいろ知恵を出せばいい。こうした議論を新聞メディアは主導してほしい。党首会談でもこうした話しもしてほしかった。

たとえば、まず、補欠選挙は止めて、次点が繰り上がるようにする。なるべく衆参同一選挙を行うような不文律を作る。政策づくりは参議院に任せる。法案審議・予算審議は参議院に任せる。衆議院は首班指名と行政監視と決算を中心となる。参議院の3年後と半数改選はやめて6年ごと一括改選にする。首相公選制を導入するとか。荒唐無稽の議論も含めて、どうすれば、選挙のない年を作れるか。憲法改正だってすればいい。あいかわらず憲法9条ばかりで、こうした議論はほとんど行われない。日本は、枠組みとかルールのもつ意味を理解するのが苦手だが、そこを克服しなければ日本に明日はない。

日本と正反対なのが米国だ。優秀な政治家を発掘し、そして、さらに選考過程、選挙戦を通じて、リーダーとしての能力を開花させ、練磨し、そして、大統領になっていく、磐石なプロセスをもっているからこそ、安定的に一定水準以上のチームが国の統治にあたることができている。

このねじれをきっかけに日本の首脳の選考過程を見直し、そして、安定的に国のリーダーが選ばれ、少なくとも、4年や5年は、一人の首脳のものと同じ大臣が将来を見据えて仕事できるような日本を作り上げたい。このことの理解を広められるか?日本のメディアと政治学者の力量にかかっていると思う。僕も、ことあるごとにいい続けていく。

書きながら、ふと思ったのだが、ひょっとすると日本国憲法を作成した、いわゆる日本に憲法を押し付けた人たちは、日本を常に政権不安定で、いつも選挙、選挙と騒いで、政策立案に政治家が集中できなくし、長期的な戦略を打てなくするように、その間隙を縫って官僚の政策支配が進むように、年中、選挙ばかりやっている日本を作る巧妙な罠を仕掛けていたのかもしれない。

2008-01-06 10:46:00

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鈴木 寛

参議院議員

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