鈴木 寛のBlog

0003ブット暗殺

パキスタンで27日ブット元首相が撃たれて亡くなった。明るい兆しが見えかけていた同国の民主化に、暗雲立ちこめるどころではなく、どしゃぶり・地崩れの事態となった。パキスタンは当分、大混乱、内戦状況にもなってしまうかもしれない。

21世紀になっても、人間はほとんど進歩していないのか?暗澹たる気持ちになる。私も大変ご指導いただいた民主党の石井紘基先生も六年前に刺殺されておられるし、長崎市長射殺事件も記憶に新しいが、我が国とて、暗殺とは無縁ではない。

暗殺で事態は変わるのか?残念ながら答えは「イエス」である。悪いほうには一挙に変わるのだ。だからテロがなくならない。地道な努力の積み重ねを一夜にして水泡に帰さしめる。

国会議員になった1ヵ月半後の2001年9月11日、米国同時多発テロが起こった。その直後に、印領カシミール州議会もアルカイダのテロに遭った。翌月、僕はカシミール州上院議長にお会いして、その惨事の詳細を伺った。

その後、日本の識者に、テロは米国だけでなくインドでも起こっていることを、ことあるごとに知らしめるのが僕の役割となった。その年の12月はじめ、僕も、インドのバジパイ首相にもお会いしたが、同首相の帰国直後、今度はニューデリーの国会が全国会議員が院内にいるとき襲撃された。かなりの数の衛視が銃撃戦の結果、亡くなった。

この国会襲撃テロによって、インド・パキスタン関係は一即触発、国境線には戦車隊が緊急配備された。世界中の国々・メディアも固唾を飲んで見守った。

こうしたときに日本は何が出来るか?僕は、シドニー大学で、平和創造における中位国(ミドルパワー)の役割、その一例として、カンボジア和平と化学兵器条約におけるミドルパワーオーストラリアの果たした役割について、研究していたことがある。結論はミドルパワーができることは「オネスト・ブローカーつまり仲取り持ち役」だ。軍事的には中位国である日本の歩む道もここにある。と僕は信じている。

「パワーバランス外交の下請けを脱し、コミュニケーション外交のファシリテーターへの転換」が僕のコンセプトだ。

当時、僕は、鳩山代表の下、民主党代表室次長を仰せつかり、一連の鳩山外交の企画を任されていた。僕の持論のコミュニケーション外交論をお話し、鳩山先生からは友愛外交そのものだとお墨つきをいただき、民主党が政権をとった暁の外交の姿を先取りして実践しようということになった。
まず、年末ぎりぎりに首藤衆議院議員(当時)とご一緒に鳩山先生に同時多発テロ後、国会議員としてははじめてアフガンに入っていただいた。

そして、一旦帰国後ただちに、小沢鋭仁衆議院議員(当時代表室長)にも同行いただき鳩山先生にニューデリーに飛んでいただき、さらにニューデリーからインド大統領機でカシミールに入っていただいた。1月10日前後の日程だった。

実は、その直後には、パキスタン議連会長でもあり民主党特別代表でもあられたギレン羽田ツトム先生にはパキスタンに飛んでいただいた。インドとパキスタンのバランスに配慮したからである。

小泉総理は何もしなかったが、時を同じくして英国のブレア首相、仏のシラク大統領、中国の朱鎔基首相もニューデリー入りし、インド・パキスタン両国に慎重な対応をもとめ、事態の鎮静化を図った。ただカシミールにまで足を運んだのは鳩山先生だけだった。

このとき終生忘れえぬ鳩山先生とのやりとりがあった。年末のアフガンは地雷が埋まる地域への訪問が含まれていた。年始のインドは、カシミールへの行き帰りの飛行機はパキスタン軍による撃墜の危険、現地でもテロのリスクがあった。もちろん私も大統領機の使用、インド空軍戦闘機の護衛の手配など最善は尽くしたがリスクは依然高い。私がインド側と詰めた全行程とリスクについて説明させていただいた後、鳩山先生が「仮に、こうしたことで生命を落としたとしても、政治家として本望だ。」と、淡々と、おっしゃった。そのとき、改めて政治家という仕事の真髄を思い知るとともに、親子四代にわたり、そのことを心の奥底に刻みつづけてきた鳩山由紀夫の器の大きさを見た。

このときは出張中の安否を本当に心配した。私も奥様・ご長男とご一緒に成田にお迎えに参上し、無事なお姿を拝見し本当に安堵したことを覚えている。

この後、在ニューデリーの各国大使がカシミール出張が一挙に増え、本国政府にカシミール問題の深刻さが打電されるようになった。結果、印パキ問題がグローバルな課題となったため、世界の注視による平和創造が可能になった。インド側からは、大変に感謝された。

その後、印パキ関係は、カシミール地震での国をこえた人道支援などもあり、じわりと雪解けを迎え、遂に、この2年は、二国間関係は寛解導入に成功していた。

アフガニスタンで米国ブッシュ大統領の力づく外交がほとんど成果をあげられていないのと対照的に、印パキにおける、コミュニケーション外交中心の平和創造アプローチは、かなり成果をあげた。

しかし、今回のブット暗殺事件でパキスタン情勢は一挙に流動化し、アフガン・インド・イランに直接的な影響を与えるだろう。

元のもくあみになってしまった。関係者の落胆の色は濃い。僕ですら少し肩を落としているくらいだ。

しかし、この絶望から一筋の光明を見いだすのも人間であると信じたい。

2007-12-29 15:35:00

0002ネット同人誌「シブヤ」

僕は、文章を書くのは大好きなのだが、日記は苦手で、いつも三日坊主だ。学生時代、芝居にハマっていたこともあり、題材を探し、おもしろい着眼・視座を考え、構成を練り、いいフレーズ・言い回しなどを磨いているときはとても楽しい。

ただ、書きながら考えを整理していくタイプで、最初に書いたものは、跡形もなく手をいれるから、時間がかかる。結局、書くための時間を毎日は確保できず、日記は続かなくなってしまう。こんな僕は、原稿の締切に追われたほうが、ある意味ありがたい。

今僕は、はからずも自分の性格、つまり、自制心に欠け他律的で、文章下手な割りに凝り性で、自分の言葉には責任はもつ一方、自分の回りに囲いをつくり、そこから一歩外にでた所での発言には慎重で、根は表現好きなのに必要に迫られるまでリスクを犯して発言する踏ん切りがつかないタイプの人間であることをバラしてしまった。

人間は発言や表現を推敲・修正・洗練させながら、ほどよいところだとその人なりに判断して、自分の外に言葉を発している。だから書き方と話し方をみれば、その人の性格、責任感、協調性、大胆さ、慎重さなどはおおよそ察しがつく。
ただし、ネットという場と自分との距離感については、迷いながら、はかりかねているというのが多くの人の本音だろう。

ネット登場後、改めて露呈したのが日本人の公共感覚のバラツキだ。学校で教えてないから、バラツキが蔓延・拡大している。ネット上のトラブルも、公私の境のづれが原因だ。

明治・大正のころの私小説が登場したときと少し似た状況にある。

ハンドルネームが、実社会での追跡・追求を回避することによって、実質的な表現の自由を限りなく拡大しているのはご承知のとおりだが、そもそもブログやウエブの言語空間は、まず、「脳」の外部なのか延長なのか?つぎに「我」のものなのか「我々」のものなのか?について認識のづれが膨張し、未整理・未自覚のまま、放置されている。

頭のなかで閃いたこと、思いついたこと、ふと浮かんだことを、そのプロセスのままに、そのまま垂れ流すべきなのか?それとも一旦は押しとどめ、それを推敲・進化したのちに書き記すべきなのか?誰も答えてくれない。

我々のものであるなら、むしろ、それは克明に記し、仲間には積極的に共有すべきということとなるが、その場合、仲間にはどこまでを含めるのか?よく考えねばならない。読者までを含めるのか?いろんな「我々」の範囲をめぐり、設定の仕方がある。

日本人が、勅撰集、連歌、同人誌・・などを編み出してきたのも、ここらへんに理由ある。ポータルや検索サイトはネット勅撰だし、2ちゃんねるは、ネット連歌。
今回、シブヤブックスの福井さんがはじめたこのウエブは、初の本格ネット同人誌にほかならない。初物好きの私が話に乗った理由も実はここにある。白樺派ならぬシブヤ派なんてえのができたら嬉しい限りだ。

シブヤ派の秘訣を思いついたので忘れないうちに福井さんに教えておこう。

その1。まず過去の事例から判断すると、人気を気にしないこと。ハヤラそうとか、一花咲かそうなんてことを決して思わないことだ。明治、大正の同人誌も好きな奴らがただすきなようにやっていたにすぎない。後で振り返ってみると、その中の極めて運のいいグループがたまたま大ヒット、一世風靡し、何十年たって、メジャーになった。すべては、たまたま、後知恵だ。だから、運は大切だ。

その2。今、モダンからポストモダンに時代は移りつつある。ポストモダン(PM)のキーワードは、ごった煮と折衷と解釈だ。シブヤ派はもともと「ごった煮」だからこれは問題ない。

折衷主義だが、ネットウエブとリアル出版、文字と写真などの折衷はよい、これからもあらゆる折衷にトライしてほしい。和漢、和洋、老若、男女、内外、真偽、善悪、美醜、巧拙・・・
解釈と展示だが、この前、久しぶりに天才思想家・東浩紀と話す機会があったが「ネット上のコミュニケーションでは、あらゆることが等価にあつかわれ、しかも、話のネタ以上でも以下でもなくなった。たとえそれが安保問題であっても」といっていた。

まさにモダンでは何を造るか・何を作り変えるかが大事だった。しかし、ポストモダンでは、すでに存在しているものを、そのどの部分を、どこに、いつ、何を添えて、何にみたてて、どう置くのか、並べるのかが大事になっていく。

ポストモダンと元来の日本文化は相性がよいが。まさに、生け花やお刺身の作法と酷似している。

社会思想家・大澤真幸が「デュシャンの『泉』を例に、ゴミを置く場所の選び方、文脈の与え方が芸術になりつつある」といっているが、主義主張の正しさや主題の大きさや軽重にも、関心が払われなくなっている。
PMでは、作品の内容より、むしろ、それがウケルのかどんなコメント(批評)やレスポンスが、どう付され・発展するかが大切になってきた。

さらにいうとPMでは、書き手・作り手は、どう頑張っても支配的な役割は果たせなくなった。代わって、読者との関係を紡ぎだす編集者や解釈する批評家の役割が大きくなる。

福井さんの健闘を祈る!

僕も苦手な小林秀雄を読み返してみる気になってきた。

2007-12-28 17:56:00

0001ブログ好きの日本

2007年もおわろうとしているが、日本ではブログが、今だに大流行りだ。世界のブログの半分は日本人が書いているという説すらある。

さて、ここで問題!「日本人はブログ好きな民族なのか?」

ブログってえのは、この数年、しかも若者の間で流行ってるだけだから「ノー」と思いきや、正解はイエスだ。

ブログとは電子版私日記ともいえるが、中高校時代に受けた森本先生の国語の授業と、知の師匠・松岡正剛先生の塾でおそわったこともあわせて、すずかん流に判断すると、「日本人はブログ好きの文化遺伝子(ミーム)をもっている」と断言できる。言い換えれば、日本人のブログ好きは流行ではなく不易だ。

ネットというと新しいものと錯覚してしまうが、実は違う。確かに技術は新しいが、ネットという新たなメディアの登場は、新しいものを創るのではなく、あらゆるものの化けの皮を剥がし、その本性や真相をより明らかにする。

今年の字に清水寺が「偽」を選んだが、昔からの偽が、白い恋人、赤福、吉兆と、どんどん暴かれたのも、ネットの普及が背景にある。

日本初のブログは、平安時代中期に綴られた清少納言の「枕草子」。「春はあけぼの・・・」のくだりで有名だ。まず、女性の間で私日記が流行り、それを羨んだ紀貫之は、その土佐日記の冒頭で、女もするという日記を、男である私も、仮名書きではじめてみるとなっている。当時は、真名つまり漢字は男、仮名は女が使うものだった。

鎌倉時代に入り、枕草子と並ぶ日本二大ブログの双璧・徒然草が、世を捨てた僧侶、吉田兼好によってつれづれにかかれるが、たぶん、女性と世捨て人のブログが大ヒットするだろう(笑)。

清少納言という書き手の名前も、少納言であった清原元輔の娘というだけで本名すらわかってないし、枕草子という題も、「枕草紙」からきているが、今でいうと、ホテルに泊まるベットの脇にメモ帳があるが、あれのことだ。この辺りも、ブログらしい。

何百年後の今、国は、枕草子・徒然草を、教科書という国家メディアに載せて、全日本青年たちに読ませようと躍起になり、一方、真面目な受験生ほど、食事も惜しんで、そこにでてくる古文単語の暗記に必死になっているのは、清さんちの娘も、世捨て人の兼好さんもビックリだろう。だから歴史はおもしろい。

もっと、おもしろいことに、古文嫌い・勉強嫌いの高校生も、携帯ブログにはハマっているから、いずれにしても、若者たちはブログからは逃れられない。やっぱり、日本人はブログ遺伝子をもっている。

すずかんブログを始める。
僕自身、自分のなかにどんなブログ遺伝子が眠っているのか楽しみだ。
どうぞヨロシク。

2007-12-27 00:35:00

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鈴木 寛

参議院議員

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