ついに東京に、桜の満開宣言が出ました。
私の自宅裏のソメイヨシノも
たわわに花を咲かせています。
弥生の空気を一杯に吸い込んで、
何だか嬉しそうに見えます。
私も大和民族の端くれなのか、
毎年桜の花を見ると、いつも情感豊かになるわけですが、
なぜか最近は井の頭公園や上野公園の魑魅魍魎ぶりも同時に脳裏をかすめてしまいます。
まるで、美しい想ひ出に
立ち小便をかけられたかのような心の疼き。
まあ、今年もはや、四分の一が過ぎたということです。
仕事は「私の情感」など慮ってはくれません。
ひたすら頑張るだけです。
【前回の続き】
多少乱暴に言うと、
検察に起訴されたとき、被告人は次の三種類に分類されます。
1. 起訴事実を素直に認め、「悪かったな」と反省する人。
2. 内心起訴事実を認めていないし、悪いとも思ってないのに
「反省の意」を示す方が得だと考え、「反省している振り」をする人。
3. 起訴事実を認められないし、起訴内容そのものが「なぜ悪いのか分からない」。
だから反省などできないという人。
現在の日本の刑事司法の場合、
1か2が幾ばくかの得をするということだと思います。
今回の堀江さんの場合は、大変珍しい3だったわけですが、
だからこそ被告人に対して「なぜ、悪いのか」
「なぜ、犯罪なのか」を分かりやすく伝える場所=裁判であって欲しかった
というのが私の素直な感想です。
「感情論」や「こうあるべき論」などという曖昧なことではなく、
「日本国として、こういう経済行為は、こういう理由で認めない」
「なぜ既存の法律ではひっかかかることのなかった
ビジネススキームが、今回は株主を欺く詐欺行為とされたのか」という
分かりやすい論拠を示す場所、
それが裁判であり刑事司法であって欲しかったということです。
それこそが、判例になるわけだし、
今後の刑事司法に活かされていくわけだし。
もちろん「殺人はなぜ悪いのか」というレベルのことは
説明する必要はありません。
が、刑事司法、中でも経済事件では
そもそも「法律的にも、事象的にも前例なきグレーなこと」を裁くわけです。
だからこそ、理屈で理解させて欲しかったなという気がします。
とにかく今回の判決理由では
日興コーディアルとの違いが何なのか、
まったくわかりません。
青臭い理想と言えばそれまでです。
でも、司法の場だからこそ、私は期待しているのです。
2007-03-29 16:06:00
