今週の金曜日(9日)、富良野自然塾の齋藤典世さんによる
「SPBS地球の論点」が開催されます。
テーマは、
“「地球環境問題」を紐解く。
──120分で学ぶ地球の歴史と地球環境のとらえ方。”
地球の46億年の歴史を、誰よりも分かりやすく、
解説していただきます。
知っているようで知らない地球の歴史。
分かっているようで分かっていない地球の現状。
「地球規模」というと自分の生活には関係ないこと、
と考えがちですが、
すべてはあなた自身、もっというと、
あなたの子孫に関係してくることです。
いまこそ「全地球的視点」で物事を考えてみたいと思っています。
ちなみに今回齋藤さんにスピーカーをお願いしたのには、
わけがあります。
「ROCKS」で、富良野自然塾のことを取材したときのことが、
強く印象に残っていたからです。
当時の取材原稿を全文掲載させていただきます。
ご一読いただければ、
福井がなぜ齋藤さんにお話しをしていただこうと
思ったか、ご理解いただけるのではないかと思います。
まだ、座席はあるようです。
皆さまのご参加、お待ちしておりますm(__)m
……………以下、「ROCKS vol.4」掲載
「闘う植樹」(文・福井盛太)より。
旭川空港の到着ロビーを抜けると、すぐ目の前にレンタカーの受付カウンターがあった。世は夏休み。案の定家 族連れでごった返すカウンター前のスペースをよちよちと進み、レンタカーの受付をすませると、10 分後にはグレーの「TOYOTA PASSO」が届いた。乗車するのは私と同行のカメラマン(正確にはカメラウーマン)だけ。ペーパー ドライバーの私は迷わず助手席に座り込んだ。その刹那、「TOYOTA PASSO」は国道 237 号線を走り始めた。
青い空に美しいパッチワークのような丘陵地帯……旅行ガイドなんかでよく目にする「美瑛の丘」をオープンカーで走 り抜ける、という私の富良野紀行のイメージは、どんよりとし た空にすぐさまかき消されてしまった。撮影には最悪の天候 だ。でも、しょうがない。人間は、自然現象には従うしかない。
1時間ほどして、目の前に富良野プリンスホテルが現れた。
今回富良野プリンスホテルを訪れたのは、NPO 法 人「C・ C・ C 富良野自然塾」(塾長・倉本聰)副塾長・専務理事の林原博光に話を聞くためである。2006 年に 法人登記された「富良野自然塾」は、プリンスホテルの敷地内の35 ヘクタールの広大なゴルフ場跡地にコツコツと植樹を行い、以前のような緑豊かな森を再生しようとしていて、今年の終わりには約4万本の植樹を終えようとしている。植樹されたのはミズナラやホオノキ、エゾマツ、ハンノキなど約10種類の苗木。全国の有志によって植えられた数々の苗木はすくすくと育っていて、大きいものになると、1メートル50センチを超える。
本音を言うと、この植樹活動自体に興味を持っているわけではなかった。植樹活動よりも「環境問題」という地球の切実な問題を、机上のこととしてではなく、「肌感覚で実感」させようという団体の意志にこそ興味があった。
プリンスホテルの敷地内にある元ゴルフ場のフィールドに、林原はグレーのマウンテンパーカを着て立っていた。 都会から来たひ弱な編集者は傘を差していて、林原は雨に濡れながら立っていた。その時点で、私は、この広大な自然からの小さな疎外感を感じた。
「何を聞きたいの?」(林原)
「この自然塾ができた経緯と、活動の内容について……」(私)
「そうですか。雨が降ってるから、車の中で話しましょう」(林原)
ドアを開けっ放しにした蒸し暑い車の中で、1 時間ほど話を聞いただろうか。始めは車の中に入り込んでくる蚊や虻や蜂に気を取られたけれど、時間を経るとともに気にならなくなった。というか、虫のことなど忘れた。
自然塾をはじめる前の林原はTBSの社員だったこと。塾長の倉本聰と一緒に同塾の構想を温め、実現にこぎ着けたこと。「地球環境」の現実を知れば知るほど、「伝えなきゃ」という使命感が芽生えたこと。環境問題に、いまだ本腰を入 れない日本の政治家や官僚たちに対し疑念を持っていること。数少ないスタッフでやりくりするNPO法人の台所事情のことなど、数々の話を聞いた。
話の中でも特に印象に残ったのは環境破壊の現実についてのものだった。要約すると、こんな感じだろうか。
このままのペースで森林伐採が続くと、400年後には地球上から森がなくなる。二酸化炭素(CO2)を吸収してくれていた森林がなくなると、CO2を吸収するものがなくなって、大気中のCO2濃度が急上昇し、異常気象が起きてしまう。IPPC(気候変動に関する政府間パネル)では、地球上の熱帯雨林の三分の一を占めるアマゾンの森が、2100年には砂漠化するというシミュレーションもある。アマゾンの森がなくなれば、現在CO2を吸収してくれている地球上の森の三分の一がなくなることになるわけで、それはつまり、私たちの孫の代には必ず異常気象がおき、生態系に何らかの影響を及ぼすということである。
様々な危機が、もう、すぐ目の前に来ていると分かった。「環境教育プログラム」を実施する元ゴルフ場のフィールドには、地球の歴史46億年を460メートルの距離に置き換えてつくった道がある。その道を、インストラクターの解説を聞きながら歩くことによって、地球が今日を迎えるまでの壮大なドラマを色彩的、立体的に理解できるようになっている。 460メートルの道程の中で、人類の歴史はゴール手前の0.02センチだけ。こんなわずかな期間で、人間は地球の資源を 消費し尽くしたことも“体感”する 。
ドラマと人間の愚行を理解できるだけではない。このままいくと確実に訪れる地球環境の異変、人類の絶滅という現実にも気付かされてしまう。
去年の夏、同プログラムを体験したとき、私はなぜか、遠い将来の自分にガン宣告されたような気持ちになった。そして、末期のガン患者が余生の過ごし方を考えるように、 将来絶滅する可能性が高い生物の一人として、これからの時間をどのようにして過ごしたらいいのかと考えるようになった。結論として言うと、小さなことを、コツコツと行うしかない。たとえば、一人ひとりが植樹をする。そういうことだと思う。 決して現実逃避とか諦念からの行動ということではなく、しっかりと現実を見つめ、いま、自分にできることをやる。その結果、どうなるかなんて分からない。やらなきゃならない。現実に、気付かなくちゃならない。 その気持ちこそが、大切なのだと思う。
こういう心持ちのことを塾長の倉本は、南米の民話「ハチドリの一滴」をたとえに使って説明していた。あるとき山火 事が起き、そこに住む動物たちが逃げて行く中で、ハチドリだけが火事の山中に戻って行き、一滴の水を火に注ぎ消そう とする。それを見た他の動物たちは「そんなことをしても焼け 石に水さ」とバカにする。しかしハチドリは「私にできることは、ただこれだけなのです」と一滴の水を運び続けた……。
「環境問題って、いろいろな視点と括り方があるけど、突き詰めると、地球と人間の問題なんですよ」
林原は、インタビューの最後にそう言った。私もそう思う。もっと言えば、いまささやかれている環境問題というの は、「人間が自作自演した結果人間の絶滅危機を招き、本来は人間の絶滅を防ぐのが目的なのに、“地球を守ろう”などという美辞麗句で湖塗したもの」じゃないかと思っている。「地球を大切に」「地球を守ろう」なんて、地球に失礼だ。放っておいても地球は人間よりも長生きする。そうじゃない。このままだと自分たちの子孫は滅亡する。その現実を、いかに、受け止めるかなのだ。
だから「富良野自然塾」は、行動で示している。そして、植樹し続けている。私はこれを、闘う植樹と呼ぶ。
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2011-12-07 20:02:00
