SHIBUYA BOOKSELLERSのBlog

■連載 vol.3■ 『中間報告』 若木信吾×SPBS写真ワークショップ2010展





台湾日記  塩崎 亨

 2010年7月13日、デルタ航空21時30分着の便で台北に降り立った。夜の台北は日が沈んだ後にしては取り巻く空気が熱く、重たく感じられた。初めて立つ異国の土地に共通して感じられる、心地良い緊張感を含んだ、ずしりとしたものだった。台北は今まで訪れたことのある中国のどの街とも似ていて、どの街にもない雰囲気があった。中国大陸では見られなかった日本でなじみのコンビニやファーストフードの看板が次々目に飛び込んできたから、という単純な理由がそう感じさせたのかもしれない。


 次の日の午前中、1時間弱のフライトで台東に向かっ
た。突き刺すような日差しと、立ち昇る雲の中、空港から車で40分ほど海岸線を走ると、今回の撮影の目的地でもある阿美族の部落、都蘭があった。阿見族は台湾に住む14の原住民族の中でも一番人口が多く、東側の海沿いから南にかけて広く生活圏を持つ民族だ。都蘭では、いたる所で明日から始まる豊年祭の準備と踊りの練習が行なわれていて、その中にスミンはいた。彼は普段、ミュージシャンとして台北で生活しているが、祭りを通じ下の世代の子たちに文化や伝統を伝え指導するリーダーとして、部落に帰ってきていた。20名ほどいる彼の生徒たちは皆、連日の特訓による疲れがみえたが、スミンの声によく反応し乱れることがなかった。僕とスミンは以前、東京で行われた若木信吾監督の映画『トーテム』の公開イベントですでに会っていた。都蘭に来てからそのことを話してみたが、苦笑いするだけで、覚えているのかいないのか、僕の片言の英語が通じていないのか分からないままだった。


 豊年祭初日となる7月15日、若木さんが都蘭に到着した。若木さんとスミンは顔を合わすと、幼馴染みの親友に再会したかのように抱き合っていた。若木さんがスミンとどう係わってきたのか、垣間見えた瞬間だった。祭りは年々観光客が増え、踊りの輪の中に入っての撮影は難しいということだったが、スミンが用意してくれた民族衣装を身につけることで中に入ることを許された。ひざ上の短い巻きスカートが恥ずかしかったが、忙しい中用意してくれた気持ちが嬉しかった。阿見族独特の歌の中、老若男女、派手な衣装に身を包み輪になって踊った。それぞれの歌や踊りがどんな意味を持つか理解できないまま、少しかしこまりながらシャッターを切り続けた。民族衣装に似合わないスニーカーやTシャツ、マイクや屋根付きの会場など昔とは違うだろう様相を見せてはいたが、皆で手をつなぎ一本の長い列となって、海のうねりのように踊っていた。祭り自体も彼らの生活に合わせ変化しながら、一番大事なことは変わっていないだろうなと思った。


 日が暮れはじめ写真が青く写りだしたころ、すこし離れた空き地でフィルム交換をしている若木さんを見つけた。デジタルメカメラをメインで撮影していた自分はしばらく手を休め、目で追っていた。周囲の様子に気を配りつつライカの裏ぶたをはずす姿は美しく見えた。この間があるかどうかが、フィルムとデジタルの決定的な違いに思えた。若木さんが都蘭に着いてから自分がこのワークショップに参加する前のことを思い出していた。今年の3月ごろ、「SPBS×若木信吾写真ワークショップ」の存在を知った。興味を持った写真家の友人と「参加することはどういうことなのか」話し合った。午前2時、ドリンクバー頼みのファミレスが閉店時間になっても話は尽きなかった。心の中で参加の意志は固まっていたが、声に出して話すことは僕にとってとても大切な作業だった。若木さんとの出会い、スミンとの出会い、いろいろな縁のおかげでここにいるということを実感していた。


 祭りは毎日が同じことの繰り返しのようでも、踊りに参加するメンバーが若者だけだったり、儀式によっては男女別れたりと少しずつ変化していった。食事の時間をのぞいて常に誰かが歌い踊っていた。夜になると世代ごとに分かれ、ぬるいビールと檳榔(びんろう)と呼ばれる小さなヤシの実を噛みながら反省会をした。時には上の世代から何人かやって来て、長い説教話を聞かせていた。皆、神妙な面持ちで耳を傾けていた。ふと僕も檳榔を試してみたくなった。口に入れ噛みくだいてみると,青くさい渋みと、胸が熱くなるような感覚があった。微妙な表情をする僕を見てみな笑っていた。大学生になってから初めてタバコをふかした時のことを思い出した。
 3日間続いた祭りが終わり、それぞれがまた日常の生活に戻っていった。職業軍人、ショベルカーの運転手、ウエイトレス、アメリカへ留学している学生、彼らの多くが都蘭には住んでいなかった。僕は台北に戻りスミンの姿を追った。スミンは一人残った僕に気遣ってくれながらも、ミュージシャンとして、兄として、息子として、忙しい毎日を送っていた。台北という都会にいながらも、彼がステージの上で着ていたのはあの民族衣装だった。今回、スミンという阿見族の青年の都蘭と台北の生活にほんのすこし触れたにすぎないが、それらは晴れの日と雨の日に似ていると思った。一度に両方の場に立つことはできない。どちらがいいとか悪いとかではなく、彼にとってどちらも必要なものではないかと感じた。


 ある晩、60歳をむかえる彼の父親のバースデイパーティーにお邪魔させてもらった。タイ料理店で食事をし、ケーキを買って自宅に戻った。父親の生い立ちのスライドショーは、スミンの祖父母の結婚式の写真から始まる長いものだった。うす暗い部屋の中、家族みんなで食い入るように見た。その後、彼の妹たちと共にSONY製のデジカメをプレゼントした。父親は使いこなせそうもない難しいものを渡された戸惑いをみせながら、嬉しそうにそのままきれいに箱に戻していた。僕は言葉もできない見ず知らずの日本人と大切な家族の時間を過ごさせてくれたことに感謝していた。そして僕がその時できた唯一のこと、写真を撮るということで少しでも恩返しをしたいと考えていた。


塩崎 亨(しおざき とおる)
1972年東京生まれ。専修大学経済学部卒業後、ゲーム制作会社の3Dデザイナーとして勤務。2006年3月、東京写真学園を修了、10月に退職し写真家の道へ。第34回APA公募展2006入選。日本写真家ユニオン第2回公募展優秀賞受賞。2007年 Gallery COSMOS「Reminiscences」個展。2008年 Azabu Art Salon「Once in a blue moon」個展。2009年 Gallery ARTGRAPH「Photo Exhibition KAZE」グループ展。2009年 CIGE2009(China International Gallery Exposition)グループ展。


『フォトグラファーズ 写真を仕事にするしあわせ』(雷鳥社 2010年刊)に塩崎さんの記事が掲載されています。
http://www.raichosha.co.jp/book/photo/ph45.html


明日は菱田雄介さんによるレポートを掲載します。
展示の詳細はこちら


2010-09-15 10:24:00

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2008年1月オープン。
書棚には、文学・ノンフィクション・エッセイ・詩集などから、写真集・アートブックまで、一点一点セレクトされた本が、新刊・古書問わず並んでいる。入って右奥の書斎コーナーでは、定期的に独自の切り口でブックフェアを開催。その他、SHIBUYA PUBLISHING刊行のオリジナル出版物は常時全タイトル揃い、店頭にて購入することができる。また月に3~4回、SPBSラボと呼ばれるトークショーを行っている。

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