アパートに帰ると、いつものように虚無感が僕を埋め尽くした。
学校では友達に囲まれて、賑やかな時間を過ごしているが、一人暮らし先に帰ってくるとそれらがすべて嘘だったかと思わされるような静寂、そして孤独に苛まれる。
寂しい、というような単純な感情ではないように思う。
大げさに言えば、哲学的な無力感を強制されてしまうのだ。
おそらく、6畳のワンルームに1人で暮らせば、ビル・ゲイツも、デビット・ベッカムも、マイケル・ジャクソンだって、同じ感覚を共有できるだろう。
そして、カントやウィトゲンシュタインやヘーゲルは、こうした絶望にも似た環境の中で、数々の思想を深めていったに違いない。
集団行動の直後に誰もいない部屋へ帰って来ることによって、自分が宇宙に存在する1人の、あるいは独りの、塵のような物体であることを否応なしに実感させられるのだ。
僕は悲しくなりそうだったので、君に話しかけた。
「自分で言うのはすごくおこがましいけど・・・・・・、僕はね、大学ではけっこう、人気者なんだ。まだ2年生だけど、サークルの代表をやっているし、友達も多い。成績だって、A評価ばかりだ」
僕は、外での僕を知ってほしかったのだろうか?
素晴らしい人格者だねと褒めてほしかったのだろうか?
違う。僕は、自分の口から出た言葉がまるで意味のない主張だということに気づいていた。
君も、たぶんそう思っていたんだろう。
君の返答は、救いのような言葉だった。
「うん。それで?」
*
テニスサークルの飲み会を終えてくたくたに疲れていた僕は、家に帰ると着替えもせずにベッドへ倒れ込んだ。
君が話しかける。
「毎日のように飲み会があるんだね」
「まあね」
僕はそのまま眠ってしまいたかったけど、なんとなくすっきりしなくて身を起こした。冷蔵庫から天然水のペットボトルを取り出して口をつけた。
「どうして毎日飲まなきゃいけないんだろう」
サークルの友達と大勢で酔っぱらうのは楽しい。しかしときどき、お金を払ってまでアルコールを摂取することがとてつもなく無意味な行為に思えることがある。
「楽しいからじゃないの?」
「もちろん、楽しいんだけど・・・・・・」
僕は頭を働かせて考える。
「たぶん、『飲み会』というのは楽しい大学生活の象徴なんだ。学校でできた仲間たちと、ようやく飲めるようになったお酒を交わしながら、ちょっと真面目な議論をしたり、悪ふざけをしたり、恋愛をしたり、いろいろな要素がそこに集約されていて、みんなそのどれかを求めて集まるんじゃないかな」
少し酔いが醒めてきた。
「ねえ」
君はひとつの疑問を持ったらしい。
「恋愛とセックスは、どう違うの」
僕はペットボトルの水を吹き出しそうになる。
「恋愛は概念で、セックスは行為だってことはわかる。でも、恋愛の相手も、セックスしようと思う相手にも、大した差異はないって、これまでに203人を観察してきて思うんだ」
そう言われて、僕はこれまでに好きになった女の子を思い出してみる。
中学の時に、初恋をした子。高校の時、憧れていた先輩。そして、今、サークルにいる同じ学年の女の子。僕は、彼女たちを想像して自慰をしたことがあった。もちろん、セックスをしたいとも思った。残念ながらその望みが叶ったことは、3回のうち一度もなかったけれど。
「確かに・・・・・・」
ペットボトルの中身を飲み干した。
「確かに、好きになった人とはセックスしたいって思うよ。でも、それはイコールじゃない。アダルトビデオに出ている人を好きにはならないし、本当に好きになった相手とは身体を重ねなくてもいいから一緒にいたいって思うんだ」
そう言いながら、僕は初恋の女の子を思い出していた。小柄で、可愛らしくて、いつもとぼけたような顔をしていた。そんな外見を裏切って、ときどき複数の年上の男と付き合ってるなんて噂を聞いたけど、本人はそんな噂を知らないかのようにいつもあどけない仕草をしていて、彼女のそういったミステリアスな部分が魅力的だった。
「じゃあ、好きな子には何を求めてるの?」
君は、まだ釈然としないとしない様子だ。
でも君と話していて、好きな人に何を求めるか、これまで深く考えたことはなかったことに気づく。
何も求めない、一緒にいてくれればそれだけでいい、なんてことは、言いたくないし、言えない。
君が問いかけてから、3分ほどゆっくり考えて、僕は思いついたことを言う。
きっと、よくわからないその『何か』を求めているんじゃないかな。
人はみんな、多彩な形をした箱を持っていて、そこにはそれぞれ違う中身が入っている。
例えば、性格の相性がいいだとか。
例えば、居心地のよさ。
例えば、外見の好みの一致。
例えば、異常な性癖の一致。
他にも、僕には考えつかないようなさまざまな『何か』があるのだと思う。
そして、自分がどんな箱の中身を期待しているかは、開けてみるまでわからないのだ。
人が恋愛とその相手に求めているのは、そういう抽象的なものだと思うよ、と、僕はなんとなく照れながら話した。
「ふうん・・・・・・」
君は理解したような、していないような感じで返事をして、それ以上は追求してこない。
僕は、歯を磨いてから布団に潜り、まだ少し酔ったままの頭で甘酸っぱい記憶を思い出した。
過去に僕が好きだった2人の女の子は、いまも変わらない魅力のなままでいるだろうか。そして、いま気になっているサークルの子はこの時間、なにをしているだろうか。
彼女たちを夢に見られたら素敵だなと思いながら、しだいに眠りについた。