部屋には少しだけ中身の残った缶やお菓子が散らばっていて、狭い空間にこもった空気が圧縮されているようだった。人間が一瞬にして消え去れば、こんな状態が残されるのかもしれない。
実際には、人は消えたのではなく、一緒に飲んでいた友人たちが「じゃあ、また」と挨拶をして悠然と立ち去って行ったのだけど。
僕は窓をあけて風を通し、ほろ酔いの頭で片付けを始めることにした。
「僕はこれまでに203人の人間を見てきたけど」
君はいつもの調子で語りかけてくる。
「誰しも例外なく、他人がいるときと一人になったときとで、違う人間かと思うほど性格が変わるんだ」
それはそうだろう、と思う。
「それは意識的にそうしているわけではなくて、また、『この人にはすべて曝け出せる』と思っている相手に対しても、少なからず、つくり出した人格で対話してしまうんだ」
「じゃあ」
僕は、中身を流した缶を潰しながら、
「僕が君に見せているのはどっち?」
「わからない」
君は正直に答えて、続けた。
「でも少なくとも、限りなく本当の君に近い姿だとは思う」
僕は渇いた笑いを出した。
「壁の染みに対して格好つけてもしかたないからね」
*
僕は、一番仲がいいと思っている友達の話を君に聞かせた。
彼は中学の時の同級生で、とても賢い男だった。
テストの直前に一晩徹夜をするだけで成績表にA判定が並ぶような要領のよさを持っていたし、女の子を口説くときは相手によってアプローチの方法を変えられるほど器用だった。
彼と仲良くなるきっかけは、図書室で話しかけられた時のことだった。
僕がレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を読み終えたところで、
「それ」
と話しかけてくる。
「次、読みたいんだけど」
彼は大藪春彦の『野獣死すべし』を手にしていた。
僕も、『野獣死すべし』をちょうど読みたいと思っていたところだった。
僕らは互いの本を交換して、何日か後に感想を言い合った。
それをきっかけに、僕らはいろいろな話をした。ニュースを見てやたら政治を批判したり、好きな音楽や哲学書を一緒に探求したりした。
彼との間には、友達の噂や、好きな女の子についてなど、うわついた会話は存在しなかった。互いに、他の友達には求めることのできない嗜好の共有が楽しかったのだろう。
僕らはそこそこのレベルの、違う大学へ進んだ。
それからもときどき、本を読むたびにメールをする。彼は、最近になって初めて太宰治の『人間失格』を読み、感銘を受けたのだという。僕は「傾倒しすぎて自殺とか考えるなよ」と冗談を返した。
今度は君が、これまでに見てきた中で一番の友情関係だと思える話を聞かせてくれた。
何代か前にこの部屋で暮らしていた人が、友達を呼んだ。彼らは久しぶりだというのにほとんど会話らしい会話をしない。それどころか、どちらも唐突にマンガを読み始めたり、パソコンをいじったりする。
「だけど、2人にとってはそれが自然で、わざわざ話さないといけないようなことはほとんどなかったんだ」
何時間かして、遊びにきた友達は何事もなかったかのように「ああ、楽しかった。また来るよ」と帰っていったのだという。
「言葉が介在する必要がないほどの関係だった。すごく成熟した友情だと思った」
君が感心するほどのことだから、とても素晴らしいものだったのだろう。
僕は、自分と誰かが2人きりになって、どちらも黙ったままでいる状況を想像してみる。相手がそこにいるだけで安心できて、顔を合わせるだけで考えていることがわかる。きっとそれは相手の存在を愛しているから可能な関係なのだろう。
僕は、さっき君に話した友達に薦めてもらった本の一節を思い出す。
ダンテの大作『神曲』を締めくくる最後の言葉だった。
されどわが願ひと思ひとは宛然
一様に動く輪の如く、はや愛に廻らさる
日やそのほかのすべての星を動かす愛に
この文章を僕ははじめて読んだときから好きだった。使われている単語や、文章のリズムが美しいと感じたからだ。そして、その意味は年を重ねるにつれてより深く理解できてゆく気がする。
ダンテが唄った『愛』は、友情に限らず、それどころか人間以外をも含めてすべてに向けられた愛だと思うけど、局所的に見ても僕はこの言葉を思い出すだけで寛容な気持ちを得られるのだ。
部屋の片付けが終わりそうだった。僕は寂しくなるような気がして、人が来たのだということをもう少しだけ実感するために中途半端なところで掃除を止めた。テレビをつけると、最近活躍しだしたグラビアアイドルが水着を着て、カメラに向けて笑顔をつくっていた。僕は、それが仕事のためにつくっているものなのか、本心から生まれた微笑みなのか、また、そんなこととは関係なく愛を分け与えているのかもしれないと考えながら彼女の顔を見つめた。